人生について考えてみる

人生の目的とは何なのか、幸せとはどうやって手に入れるのかを模索していく。

生きる意味

人生について考えています。

先人達もはっきりと言及できた人はいなかったようです。

 

正直な話、

「なぜ生きているの」

と尋ねたら、

 

「まだ死んでないからだよ」

「それに死にたくないしね。というか今の世の中の一員で有りたいからね。」

「死んだらどこへ行くのか、はたまた意識が有るのかもわからないから。」

 

こんなところが、答えになるんじゃないかな。

 

『人生の目的』…って有るのか?

人生つまり生きている事も人間の行動の一つといえる。

食事するのも、行動の一つ。

 

「なぜ、食事するの」

 

「腹が減ったから」

「体が食物を欲しているから」

 

腹が減らなかったら食事はしない

食物を欲しくならなかったら食事はしない

 

ん?

腹が減らなかっても体重がどんどん減ってきて、

体力もなくなってきたら、

生き続けるために無理にでも食事するかもなぁ。

それは、死にたくないから。

 

では、なぜ死にたくないんだ?

 

・死んだらどうなるかわからない

・愛する誰かを幸せにしたい

・誰かを悲しませたくない

・何かやりたいことがある

 

要するに、現状を変えたくない

 

「人生の目的は、、云々」といっても、

それは、何か目的が有った方が

ただ何となく生きていくより良いんじゃないか

という意見に過ぎないんじゃないかな。

 

現状を変えたくない人は、生き続け。

現状を変えたい人は、自ら終わりを選ぶ。

 

人類共通の人生の目的なんて、有るとは思えない。

目的は、人それぞれ。

それ以前の目的の有る無しも、人それぞれ。

 

今を生きる

今を自分が納得できるように生きる

 

最期に、自分にお疲れさんって言えるように終わりたいな。

 

うーーーん、

結局、探していた「人生の目的」は、

無いって事で落ち着いてしまうのか?

 

まだ、模索は続く、、、、?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の目的 アルベルト アインシュタイン

人生について考えています。

先人に聞いてみよう。

 

アルベルト アインシュタイン (ドイツ 理論物理学者)

「誰かのために生きてこそ、人生には価値が有る。」

 

、、、、、、。

 

そうかな?

 

そうかぁ?

 

一人で山奥に入って、悟りを開こうと修行している人たちは、

社会・他人を廃絶した環境に身を置いているから

そんな修行者の人生には価値が無いのか?

 

それか悟りを開いたら、後は他の人々に教えを説いたりするようになるから、

結局は「山籠もり修行」も他人のためになるから

価値が有るって理屈なのか?

 

家族というものが無く、孤独な独り暮らしの人。

自分以外に守りたいものは無い。

誰かを意識して生きているわけではない。

かといって社会のルールなどを逸脱することは無い。

 

この人の人生に価値は無いのか?

 

言い換えれば、

この人の人生に意味は無いのか?

 

大きなお世話だ。

 

どんな人生だって、その人にとっては意味が有る、価値が有る。

その人自身が他人を意識して生きていなくても、

誰かがその人を見て、その人のふとした良い行い・考え方なんかを見て、

「いいなぁ」

「すてきだな」

「見習おう」

 

と思ったら、

それは、紛れもなく意味が有ると言える。

 

逆に、その人のとてもよろしいとはいえない行いを見て、

「あぁ、ダメだな」

「あんなことはするべきじゃない」

なんて思ったら、

それは、反面教師という面で意味が有るともいえる。

 

あるいは、誰もその人に関心が無いままであっても、

その人は実際に生きている。

人生を歩んでいる。

その人の人生は、その人にとってたった一つの、たった一度の人生で、

とても大切な価値のあるものだ。

 

とかく意味が有る無い、価値が有る無いなんてのは、

受け取る側の捉え方の問題だ。

 

ん?

 

なんだか攻撃的になってるな。

 

今日は、戦闘意欲満々だ。

 

アインシュタインに聞きたい

 

「なぜ、他人の為に生きる事が一番の優先事項なんだ?」

 

「それによって何が生まれるんだ??」

 

今の私には、ただの余所行きの言葉で、薄っぺらい印象しか感じない。

 

何か、心に入ってこないんだよなぁ、、、。

 

今日も、見つからなかった。

模索は続く、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の目的 松下 幸之助

人生について考えています。

先人に聞いてみよう。

 

松下 幸之助 (日本 実業家)

 

「自分には自分に与えられた道がある。
 天与の尊い道がある。
 どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。
 自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
 広いときもある。
 狭いときもある。
 のぼりもあれば、くだりもある。
 坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。
 この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。
 なぐさめを求めたくなるときもあろう。
 しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
 あきらめろと言うのではない。
 いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、

 とにかくこの道を休まず歩むことである。
 自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
 自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
 他人の道に心を奪われ、思案にくれ立ち竦んでいても、道は少しもひらけない。
 道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
 心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
 それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは

 必ず新たな道がひらけてくる。
 深い喜びも生まれてくる。」

 

さすが、パナソニック創業者だ。

ド正論だ。

 

 「みんなそれぞれに、自分だけの道がある。

  他人の道が楽しそうでも、自分の道の先が何だかわけわからなくても、

  自分にはその道しか無いのだ。

  他にはない。行くしかない。

  自分だけの大切な道だから、休まず懸命に歩いて行け。

  道が明るく開けてくるだろう、喜びも生まれてくるだろう。」

 

そうだな、よそ見して他人の道が幸せそうでも、

それは、他人の道であって自分の道ではない。

自分の目の前の道しか行けないんだから、それを懸命に歩けばいいんだ。

 

 

「迷わず行けよ、行けばわかるさ。」

「此の道より吾を生かす道無し。故に此の道を歩く。」

 

この二つも、心がざわざわしているときに聞くと、

何だか気持ちがシュッとする。

 

ん?

これは、目的ではないな。

生き方の方だな。

でも、何だかいい気持になったから、

これで良しとしよう。

 

今日も見つからなかった。

模索は続く、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の目的 ダライ・ラマ14世

人生の目的について考えています。

先人に聞いてみよう。

 

ダライ・ラマ14世 (チベット ダライ・ラマ)

「人生の目的は、幸せになることです。」

 

ははーーーー、

素晴らしい剛速球ありがとうございます。

 

これは、もうわかりやすくていい。

やっぱり「幸せになること」なんだな、

で、幸せになるとはどういった状態のことかな。

 

真の幸せは、
心の平安と充足感から
生まれるものであり、

それは愛他主義、
愛情と慈悲心を培い、
そして怒り、自己本位、
貪欲といったものを、

次々と根絶してゆくことによって、
獲得できるものです。 (ダライ・ラマ14世)

 

えっ、なんて?

何をどうするって?

 

今度はまるでナックルボールみたいな、

行き先が全くわからないような超変化球だな。

 

なになに、

・怒り、自己本位、貪欲を捨て去る

・他人の幸福・利益を第一の目標とする

 

つまり、

幸せ = 他人を幸せにする事

 

そうか、そうか。

やっぱり、自分のことばかり考えてたらだめだよな。

 

 

ん?

 

ん?

 

ん?

 

なんかおかしいぞ、、、

 

幸せは、他人を幸せにすること。

    AはBを幸せにしたい

   でもBはAから幸せにされることはできない。

   何故ならBの幸せは、

    Bが誰か他人を幸せにして初めて得られるから。

そもそも、他人を幸せにするという行為自体が不可能。

 

結論:

幸せが他人を幸せにする事なら

幸せになる事はできない

 

よし、これですっきりした。

 『幸せは、他人を幸せにすることではない』

 

 

よし、よし、、、、と。

 

おっ、

 

そうか、これは人生の目的とは別の話だったな。

 

今日も見つからなかった。

 

模索は続く、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の目的 稲盛和夫

人生の目的について考えています。

先人に聞いてみよう。

 

稲盛和夫  (日本 実業家)

「人間の生きる意味や人生の価値は心を高め、魂を錬磨することにある。

 おのれの人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも高い次元の魂 をもってこの世を去っていく。
 私はこのことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです。」

 

さすが、日本の大実業家の言葉だ。

何やら武士道を感じる。

 

「人間性を高め、魂の次元を上げる」

 

より高いステージを目指す。

 

・人間性を高める。

 人間性とは?

 

「人間性」についてググってみた。

 ◆人間性とは、『人として生まれつき備えている性質』

  他人に対する思いやりの心や、自分以外の誰かに対しての愛情など、

  人間にしか持ちあわせていない感情や理性、倫理。

 

そうか、人間特有の性質を高めろってことだな。

 

おっと、

 

 「他人に対する思いやりの心や、自分以外の誰かに対しての愛情」

 

これは人間しか持ち合わせていないことは無いんじゃないか。

動物にも確実にそういう感情は有るだろ。

無いっていう方がおかしい。

 

まぁ、例えの出し方に異議は有るがそれはおいといて、

一般的に人間特有の理性・倫理っていうのはあるわな。

 

ん?

これ誰か同じようなこと言ってたな、、。

 

そうだ、アリストテレスが似たような事言ってる。

 

「人生の目的は、理性を発展させること」

 

 ようするに、

 

“”理性的な行動をとり、野蛮な動物的な行動はするな

 倫理観を持って日々生活しろ。“”

 

言わんとしてることはわかる。

皆がそうなったら、より良い社会、住みや易い社会になっていくだろう。

そうすると結果的には、

 

「社会を良くすることが人生の目的」

 

とも言える。

 

この目的は、社会作りをしている側=政府側? にとっては

絶賛推奨したい目的だな。

 

が、果たして個々人にとってもそれが人生の目的でいいのか。

そういう社会に生活するのは、確かに不幸ではないな。

幸福といわなかったのは、初めからそういう社会に生まれてきた人にとっては、

それが当たり前で、特に幸福を感じることは無いだろうと思うからだ。

 

では、人間性を高めたら何が得られるんだろう。

「これこそ人生の目的だ」というどういうものが得られるのか?

 

それか、人生の目的は、

 社会の一員としての目的と個人それぞれの目的がいるのか?

 

なるほど、社会の一員としての人生の目的は、

 

「人間性を高める」

 

これに異論はない。

 

さぁ、個人それぞれの人生の目的だが、、、、

 

うーーーん、

今日も見つからなかった。

模索は続く、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の目的 ジークムント・フロイト

人生の目的を考えています。

先人に聞いてみよう。

 

ジークムント・フロイト (オーストリア 精神分析学者)

「生きる意味や価値を考え始めると、我々は気がおかしくなってしまう。

 生きる意味など、存在しないのだから。」

 

ほう、

 

全否定。

 

生きる意味なんて、無い!

 

なんと潔い人だ。

 

「まだ死んでいないから生きているだけ」

 

そうかも知れない。

本当はそうかも知れない。

 

でもそれじゃ、なんとも味気ない、

何か生きることに味付けが欲しい。

意味、目的、義務、使命、何でもよいから、

自分の存在意義が欲しくなるんだな。

 

「お前が生きている事なんて、意味が無いんだ。」

ってなったら、それこそ毎日がばかばかしくなってしまう。

 

でも、一人ひとり、その家族、友達、恋人、にとっては、

「生きていることに意味が有る。」

 

その人が死んで、誰かが悲しむというなら、

その人が生きている事には、意味が有る。

 

ん?

でもそれは、その家族、友達、恋人にとって意味が有るってことか。

 

その人本人にとって、生きている意味は??

皆を悲しませないため???

それだけ?

 

じゃあ、天涯孤独の人には、生きる意味は無いのか?

山奥で仙人のように俗世間と隔離して生活している人も、

生きる意味は無いってのか。

 

いや、それぞれ皆に、生きる意味は有るんじゃないか。

それぞれ皆にとっての、生きる意味が。

実際、大概の人は何かの目標、目的、生き甲斐ってのをもって、

日々生きていると思う。

中には、本当に死なないから生きているだけの人も、、。

 

あれっ、なんか脱線してきたな。

人生の目的、つまり

「生きていくうえで人はどういう目的を持つべきか」

を探してたんだったな。

 

うーーーん、今日も見つからなかった

模索は続く、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の目的 五木寛之

人生の目的について考えています。

先人に聞いてみよう。

 

五木寛之  (日本 小説家)

「人生の目的は、自分の人生の目的を探すことである」

 

おっと、またもや目的探しが目的という、いやはやなんともな主張が来た。

 

五木さんの主張の続きが有るようだ。

 

「自分だけの人生の目的を作り出す。それは、一つの物語を作るという事だ。

 又は、共感できる人が作った物語を信じるという道もある。

 即ち、信仰を持つという方法もある。」

 

この続きを読むと、五木さんの言いたいのは、

「人生は何か目的をもって生き、自分自身の物語を作れ。

 それが、信仰という形であっても良い。」

 

物語を作れなんてのは、さすが小説家さんって感じかな。

それに仏教に関する著述も多いので、信仰に言及しているな。

五木さん本人は、どんな物語を作り上げてきたのかな、

ぜひ自分自身の物語を書いていただきたいものだ。

 

この先生も、なんでもいいから目的を持てってことだ。

 

目的はみんな一緒の物ではなく、各人が選び作り出すもの。

また、その各人の目的に良否高低は無く、

何かを目指して生きていくという事そのものが肝要である。

 

なるほどな、一理あってうなずける。

ただダラダラ無為に過ごすより、何かに向かって努力していった方が

後から振り返ったときに達成感が有りそうだ。

 

ん?

でも達成感が欲しい、心の満足感が欲しいという事は、

現状満たされていない、欠けているという認識で、

欠けているという事は、本来備わっていなければならないという意味になる。

 

ないとだめなのか?

 

何も目指さず、日々その時その時をただ生きていくってのは、

だめなのか?

 

えっ、

そんな奴ばかりだったら、世の中何も進歩・発展しないぞ

 

まあ、そうだな、すぐ袋叩きに合いそうな意見ではある。

 

うーーーん、今日も見つからなかった。

模索は続く、、、、、